終戦記念日・全国戦没者追悼式と心理学には、どのような関係があるのでしょうか
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日本では365日の全てに何らかの記念日が制定されています。8月15日は「終戦記念日・全国戦没者追悼式」に制定されています。これは1945年8月14日に日本がポツダム宣言を受諾し、翌日の15日の正午に昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられ、第二次世界大戦が終結したことが由来となっています。そして、1963年から毎年、政府主催による「全国戦没者追悼式」が開催されるようになり、正午から1分間、黙祷が捧げられています。この追悼式は第二次世界大戦の日本人戦没者に対して宗教的に中立な形で行われています。なお、記念日としては、1982年4月の閣議決定で「戦没者を追悼し平和を祈念する日」となり、一般的には「終戦の日」とよばれることも多いです。小学校・中学校の社会科の教科書の多くでは、8月15日を「終戦の日」と記しています。なお「終戦記念日」や「終戦の日」を9月2日とする場合もありますが、これは1945年9月2日に日本政府がポツダム宣言の履行などを定めた降伏文書(休戦協定)に調印したということが由来となっています。
また、全国戦没者追悼式は追悼の対象を第二次世界大戦で戦死した旧日本軍軍人・軍属約230万人と空襲や原子爆弾投下などで死亡した一般市民約80万人の日本人戦没者計約310万人としています。式典への参列者数は例年、約6000人であり、各都道府県の戦没者遺族も含まれています。式典開始は午前11時51分、所要時間は約1時間です。式場正面には「全国戦没者之霊」と書かれた白木の柱が置かれ、正午前に参列者全員が起立し、時報を合図に1分間の黙祷が捧げられています。
では、戦争と心理学にはどのような関係があるのでしょうか。
戦争と心理学の関連として代表的なものにトラウマがあります。トラウマとは心的外傷と訳され、おおまかに言えば、生命の危険を感じたり、安全が脅かされたりするような出来事の発生によって不安や恐怖、無力感、記憶障害などの状態になることです。トラウマに関する精神疾患としては、心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害(ASD)などです。心的外傷後ストレス障害(PTSD)は当初、戦争神経症とよばれていました。これは、戦時下および戦後に復員した兵士が様々な症状を示したことに起因しています。戦争神経症とよばれていたころに心的外傷後ストレス障害(PTSD)を研究していた代表的なものとして、ジョセフ・ウォルピやヨハネス・ハインリッヒ・シュルツなどがいます。ウォルピは戦争神経症の研究過程で行動療法の技法の1つである系統的脱感作法を開発し、シュルツは自律訓練法の体系化のきっかけをつかみました。従って、戦争神経症の研究と治療・支援は、現在の様々な心理療法の発展に貢献していると言えるでしょう。その後の研究の結果、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の発症要因には戦争以外にも様々なものが含まれるということが分かり、名称が戦争神経症から心的外傷後ストレス障害(PTSD)に変化したわけです。
心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断基準として、精神疾患の診断マニュアルであるDSMでは、精神的に大きなストレスを感じるような出来事を自身が体験する、もしくは直接体験はしていないが目撃するということが原因となるとされています。さらに、最新の診断マニュアルであるDSM-5では、直接体験することと目撃することに加えて、親しい間柄の他者(家族・親友など)が強いストレスにさらされるような出来事を経験したという話を聞いた場合にも、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症することがあり、新たに診断基準に追加されています。なお、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断基準における戦争の要素として、死と隣り合わせの恐怖、長時間に及ぶ極度の緊張、拷問、略奪、戦争犯罪などが挙げられます。
このように、メンタルヘルスにおける心的外傷後ストレス障害(PTSD)は戦争をきっとして治療・支援の研究が進められ、そこから派生する形で様々な大きなストレス要因が影響することが判明しています。現在も心理カウンセリングや精神医学の現場では、日夜、心的外傷後ストレス障害(PTSD)への治療・支援や研究が進められています。
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