心理

2019/4/1

ナラティブとは

ナラティブとは“物語”のことであり、心理学を含む様々な分野で重要な位置づけにあります。

ナラティブとは、広義には「物語・語り」という意味であり、ストーリーという言葉と同じ意味として扱われることも多い用語です。

 

具体的には自分自身が経験・体験した事柄や、自身が空想した物語などについて、他者に語る行為や、そこで語られたものを指します。

 

また、「2つ以上の出来事を結び付けて、筋立てる行為」という側面と、それが出来事を経験・体験した当事者にとって、何らかの意味を生成するという点が重要であると考えられています。

 

例えば「会社の上司に怒られたから、会社を辞めた」という“ナラティブ”を述べる人がいた場合、それは「私は会社の上司に怒られた」と「私は会社を辞めた」という2つの出来 事を結び付けていることになります。

 

「私は会社を辞めた」という出来事はポジティブな出来事ではなく、ある程度はネガティブな出来事であり、また、これだけを聞くと非常に短絡的なことのように思えてしまいます。

 

しかし「会社の上司に怒られた」という出来事と結び付けられることで、ある程度の正当性が付与され、新たな意味が生成されることになります。

 

その結果、単なるネガティブな出来事という意味ではなく、別の意味を持つ“ナラティブ”となるわけです。

 

ただし、単純に出来事と出来事の“足し算”をするのが“ナラティブ”かというと、そういうわけではありません。

 

例えば、前述のテーマを「会社を辞めたら、上司に怒られた」というように組み換えてしまうと、全く意味の異なる“物語”になってしまいます。

 

このように出来事の意味とは、その出来事そのものだけで判断されるのではなく、ナラティブの中での位置づけによって決定されるものなのです。

 

私たちは、ナラティブ的枠組みに位置づけて語ることで出来事を意味づけ、その意味づけを他者と共有するということを日々、行っているのです。

 

出来事をどのように語るのかは語り手に依存しているため、ナラティブを通じた意味づけは、語り手にとっての意味を反映するものになります。

 

そのため、物語は必ずしも“真実”や“科学的な事実”ではありません。

 

ただし、語り手が“ウソをついている”わけでもありません。

 

本人の中で“そう意味のある物語なのだ”という確固たるものがあるのです。

 

ですが、どのような“語り口”でも問題ないというわけでもありません。

 

語り手は他者との間で相互承認を得られる語り方をしなければならないので、ナラティブは社会的・文化的に規定 されています。

 

誰かに話しても理解が得られないという状態では、それはナラティブとは認められないわけです。

 

ナラティブを通して経験が組織化され、意味が生成されるという認識論は様々な領域で研究されており、心理学以外の分野でも盛んに研究が進められています。

 

このようなムーブメントは「ナラティブターン」ともよばれています。

 

このムーブメントは家族療法から発展 したナラティブ・セラピーや、医療におけるナラティブ・ベースド・メティスン(NBM)などがあります。

 

ナラティブには音声によるコミュニケーション以外の側面もあります。

 

例えば、絵を描くことや、身体表現(身振り・手振り・ダンス)など、 どのような手段で表現されて いるかを問わずに、出来事を整合性のあるまとまりに筋立て、それによって意味を生成するという点が重視されています。

 

また、ナラティブに“時間”という概念で捉えるという新たな方向性も示されています。

 

ナラティブを「少なくとも1つの時間的結合を含む連続した節」と定義するものもあります。

 

この立場では、ナラティブとは、一語文から多語文へと、そして「今、目の前にある“モノ”や出来事」に限定されたコミュニケーションから「今、目の前にはない“モノ”や出来事」へと、テーマについてのコミュニケーションへといった拡張的な言語発達の中で育まれていきます。

 

そういう意味では、ナラティブには発達心理学的な側面も重要であるといえるでしょう。

 

ナラティブの生成や理解は語彙や文法の獲得などの乳幼児期 の言語発達を基盤として可能となるものであり、ナラティブの習得は学齢期以降のリテラ シーの基盤として位置づけられています。

 

ナラティブは、心理カウンセリングにおいて治療・支援のアプローチとして確立されると同時に、クライエントがどのようにナラティブを獲得し、それをどのように活用しているのかという点で、基礎心理学との関連も強いという側面を持っており、心理学全般において重要性の高いものとなっています。

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